学生・スタッフ・講師etc.26人に
「シューレ大学の特徴って何?」
という簡単なアンケートを分析しまとめたシューレ大学の特徴。
絶え間ない自己との対話
シューレ大学の人々の大きな特徴として、まずあげられるのは、その「自分」に対しての徹底的なこだわりである。自分からはじまり、絶え間ない自己との対話を繰り返し、自分を知る。そこには、世間でいわれているような「自分探し」とは、一線を画した、壮絶なまでの自己との格闘がある。
自分を出発点として、知ることや表現を進めていくことは、けっして楽なことではない。用意されていない、自分で何とかしないと何もない、自分から言ったり、やったり行動しないと始まらないから、すごく厳しい。その中で、シューレ大生は、常に自分がどうしたいか確認せざるを得ず、自問自答を繰り返している。日常を過ごしていると、その肉体の内側でぐつぐつと煮立っている彼らの自我をあらゆる機会で目の当たりにすることができる。
この、絶え間ない自己との対話を繰り返すことは、決して苦しいだけではない。確かにいつも大変である。しかし、その葛藤の中に光がさすこともある。それは、コミュニケーションや自問自答を通じて、その分厚い鎧の一部分でも「武装解除!!」して、自分に対して素直になった 瞬間である。
私がつくるシューレ大学
シューレ大学の人達とは、話せばわかるような気がする。それはなぜだろう? 講座、プロジェクトはもとより、あらゆる場所で、あらゆる物事を話し合って解決しようとする。また、月2回、学生・スタッフが全員参加可能な運営会議がある。大学を運営していく為に必要な物事のほとんどをその会議で決める。
とても微妙な問題、例えば、会議でなかなか発言しにくいというようなことも会議の議題に上がる。「万能系、万能系、運営会議式」である。どんな議題でも出すことが可能だし、どんな意見も尊重され、小さな言葉ももれていかない。
対話を主とし、互いを尊重することは、コミュニケーションの原点である。このようなコミュニケーションで行なう運営会議に参加して、私がつくるシューレ大学という感覚を手に入れる学生は多い。
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弱いところをさらけだせる
それは、その場に関わっている人に気持ちが楽、居るのが楽という安心感を与え、弱いところをさらけ出せるからである。「苦しい」「傷」という言葉は、そこかしこで飛び交っている。おおっぴらにへこめるし、一度はじめたことも「エネルギーがないからできない」という理由が受け入れられる。男に二言はある。
コミュニケーションがエネルギー
この中では、それまでの社会で孤独を感じてきた人も「一人じゃない!!」と感じるだろうし、コミュニケーションを通して互いが変わり「武装解除!!」する人も少なくない。 そうして、自分にうそをつきずらくなっていくからこそ、シューレ大学では、一人の人間の素晴らしいところから愚かなところまで見えて安心して付き合えるのである。
だが、反面、この正面から向き合うコミュニケーションになじめないうちは「私、孤独」と感じることもあるだろうし、コミュニケーションの難しさに壁を感じるような時は「本心はほおっておけない」と思うこともある。このコミュニケーション全体を自己完結系と感じる人もいるほど、それぞれの手は強く、多く結びついているといえるだろう。
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同時に、このコミュニケーションの環は、シューレ大学内部のみに留まるものではない。外部との交流が活発で、アドバイザーとのつながりはもとより、大手出版社の会長や、今をときめく映画監督がやってきて、率直なコミュニケーションを通して関係を深めている。海外との交流も盛んである。ロシア、韓国、イギリス、アメリカなどなどの人々、団体と互いを尊重しあうコミュニケーションを通して、強い信頼を築き上げてきている。
自分から始まり、自己と他者を尊重する中で創るコミュニケーション。これは、人と人とが傷つけ、テロを生み出す現代社会のコミュニケーションのあり方に対してのアンチテーゼとも言える。このシューレ大学が提案する、新しい、そして根源的な� ��ミュニケーションの形は、今、この瞬間も、強く、大きく広がっている。
表現・研究、やり始めたら止まらない
シューレ大学では、どんな小さなやりたい気持ちでも見捨てない。たとえば、やりたいことをそのまま授業にすることができるし、やろうと思いついたことをやれないかと相談しやすい。これは、当然のことながらながら、やりたいことができるんだ!! という感覚をつかむことにつながるだろう。
そもそも表現や研究はやり始めたら止まらないものである。シューレ大学は、その欲求そのものが作り出した場である。だからこそこの場では、望めばどこまでも深く深く探求できるところであるし、面白いことを追求せざるを得ない。
やりたいことをどれだけやるかは、誰かに決めてもらうものではない。いる年数も自分で決めることができ、やりたいことは心行くまで可なので、安心して自分の探究を深めることができる。軽い気持ちではなく、切実に関わっているからこそ、より深く探求することができる。それは、ギリギリの中に光を見出そうという、いのちそのものの叫びである。
シューレ大学のメンバーがそういった探究を深めていくことは、人生構築していくことであり、自分にフィットした新しい道づくりでもある。自分自身に始まり、自分の属する社会、将来までつくろうとするシューレ大学のメンバーの試みは、まさに創生という言葉にふさわしい。
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自分の自由と他者の尊重
誰も一人では自由になれない。他者と共にありながら、どのように自己の自由を追求するのか。それは学生一人一人が一度は向き合わなければならない大きな課題であろう。
時空転移、シューレ大学
トゥルルルルル、トゥルルルルル・・・。今もまた、携帯電話がなった。トゥルルルルル・・・。あ、また。ピコピコピコ。あっ、あっちではメールだ。これは、今の日本社会の中では当たり前に見られる風景である。しかし、シューレ大学では、こういった風景は珍しい。携帯電話が目立たないのである。 それだけではない。今時の男の子、女の子がいないし、今時の大学ではありえないように、合コンがないし、10円単位まできちんと割り勘をする。何も知らない人は、シューレ大学に来たら、時空転移したと感じるのではないだろうか。
その彼らは、素直に感情を表しやすく、元気で可愛い。まあ、誤解を恐れずに言えば、非常に人間っぽい。社会の大きな流れに逆行しているようにも感じる。これは、社会の中で、生き難さを感じて入ってくる人が少なくないことも影響しているだろう。
また、特徴の一つとして、真面目な人が多い。みんな、人生や自分と向き合って、そして悩んでいる。インドアな行動派という特徴を挙げる人もいる。それは、研究・表現に比べて、体育系のものが目立たないことが理由だろうか。そんなシューレ大生の中には、シューレ大学にいることだけでマイノリティであるという意識があるのか、それともただ単に人懐っこいのか、シューレ大に興味を持ってくれたらそれだけで仲良くなれそうと考える人もいる。
また、時間にルーズな人が多めで、朝に弱く、遅い時間にみんなやってくる。そのため、午後に予定がつまって忙しいということもあるが、それは自分のペースを尊重した結果である。
研究からアートまでいろいろできる
この大学でできることは非常に幅が広い。研究もできれば、映像とか演劇だよねという人もいて、面白い講座がたくさんあり、ソーラーカーやCDまでつくれる。絵を描いている人もいる。このように研究からアートまでいろいろやっている。
なぜそうなるのかというと、それは、シューレ大学のあらゆる探究が、自分から始まるからであり、けっしてお仕着せではないことの現われである。また、スタッフや講師が魅力的で、外部との交流が活発。映像や演劇のプロが来る。そのことが、それぞれの探究を深めていく力になっている。週5日開いていて、長時間シューレ大学に居れる事も見逃せない。
不登校について学べる場でもある。不登校経験者が学生の多くを占めること、東京シューレを母体とすることも関係しているだろう。当事者の視点から研究している不登校学もあり、不登校情報の最前線である。世界的に珍しいフリースクール養成コースがあったりもして、フリースクールとも関われる。
多くの人がIDEC(international democratic education conforence)に参加したり、世界のオルタナティブ教育の情報・交流もある。海外との交流が盛んで、これまで30か国以上から海外の人々が訪れている。
設備がショボイ? 必要充分?
床が汚かったり、グラウンドがなかったりと設備がショボイシューレ大学だけれど、ピアノがあったり、ソファがあったりと必要十分の設備はある。40万円のビデオカメラがあったり、食器がたくさんある。学生数40人でまだこじんまりしているが、スペースが広くはないので、いろんなところに人がいる感じがする。スタッフスペースの前はいつでも渋滞である。
出版社と新聞社が同じフロアにあること、都心にあることは自慢できることではある。ただ大学名が珍しいことで、領収書をもらうときに苦労したりする。
食事・歓談スペースであるラウンジには、台所がある。いつでも料理が作れるし、食べ物がいっぱいある気がする。マイ食料庫がある大学なんて世界でも類を見ないのではないだろうか。
得体がわからないから、おもしろい
また「特徴がありすぎてなにを言っていいやら」と途方にくれる人もいる。このように、シューレ大学は、得体がわからないから、おもしろい。絶え間なく自己との対話を繰り返すことは、常に自分が変わりつづけることでもある。そして、その「自己」同士が対話して、変身するところ。そんなシューレ大学は、日々変化しており、だからこそ、ちょっと目を離した隙に「あ!! どびっくり」というようなことも起こるのである。
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